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小倉簡易裁判所 昭和39年(ろ)429号 判決 1966年4月05日

被告人 江頭哲夫

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は、

「被告人は自動車運転の業務に従事している者であるところ、昭和三十八年四月十六日午後四時二十五分ごろ、大型貨物自動車を毎時約四十粁の速度で運転して福岡県宗像郡福岡町大字花見大盛パン寮前附近の巾員約七米の道路を西進中、約八十三米前方の中央線寄りを前車を追越そうとして対向して来ている北信行運転の軽四輪貨物自動車を認めたが、かかる場合、自動車運転者としては、同車の動向に応じ何時でも停車し得るよう徐行するはもとより、警音器を吹鳴して同車に自車の接近を警告する等の方法を講ずべき注意義務があるのに、不注意にもこれを怠り、右北において被告人の自動車の進行に気付き、中央線より左側(被告人よりは右側)に避譲するものと軽信し、警音器を吹鳴することなく漫然同速度で進行した過失により、自車を同車に衝突させ、因つて、北運転の軽四輪貨物自動車に乗車していた森スエミ(当二十三年)を頭部打撲、頭蓋内出血のため即死させ、高上和子(当二十五年)に治療約四十二日間を要する顔面多発性挫創等の傷害を負わせたものである。」

というにある。

よつて、審究するに、

一  公訴事実中、自動車運転を業務とする被告人運転の大型貨物自動車が、検察官主張の日時、場所において、北信行運転の軽四輪貨物自動車と正面衝突し、ために、同車に同乗していた森スエミが即死し、高上和子がその主張のとおりの傷害を受けた事実は、第一回公判調書中被告人の供述記載部分、被告人の司法巡査に対する供述調書、北信行の検察官に対する供述調書、石井武の司法警察員に対する供述調書、司法警察員作成の実況見分調書(二通)、上妻隆治作成の死亡診断書及び診断書を総合してこれを認めることができる。

二  次ぎに、本件衝突事故の原因について考察する。

裁判所の証人常岡嘉稔に対する尋問調書に前掲各証拠(死亡診断書及び診断書を除く)を総合すると、

「本件事故は、被告人が、約五屯の積荷をした大型貨物自動車(巾二・三四米)を運転し、北九州市方面から福岡市方面へ向け、本件事故現場附近道路(国道三号線、巾員約八・五米、アスフアルト舗装、中心線を道路鋲で標示)左側部分の中心線寄りを、毎時約五十粁の速度で進行中、右斜め前方約五十五米の該道路右側部分を、毎時約三十八粁の速度で対向して来ていたき北信行運転の軽四輪貨物自動車(積載定量〇・三屯、巾一・二五米)が、同車の数米前方を先向して来ていた小型貨物自動車を追越そうとして、道路中心線附近に進出して来たのを認めたが、該道路の巾員、自車と前記小型貨物自動車及び北信行運転の自動車との間の各距離及びその速度からして、右北信行運転の自動車がそのまま前車(小型貨物自動車)を追越すことは不可能であり、従つて、少くとも自車と北信行運転の自動車が行違いを完了するまでは、右北信行において当然道路中心線の左側(被告人にとつては右側)部分に進路を戻すものと判断し、そのまま約十三米進行したところ、その間、北信行運転の自動車は、約十米進行して来て、一旦中心線より左側(被告人にとつては右側)に進路を戻したうえ、更に中心線の方に進路を変更して進行して来たため、被告人において危険を感じ、直ちに制動操作をなすとともに進路を左にとり、道路左側端から一・二米の距離に避譲して約十一米前進したところその間北信行運転の自動車が、進路を右に転じたまま約十三米対向して来るうちその左車側が中心線を約一・八米も突破し、避譲している被告人自動車のほぼ正面に突進して来たため、同所において、被告人自動車の右前部に北信行運転の自動車の右前部が衝突し、相互の速度と重量との関係から、被告人運転の自動車が北信行運転の自動車を押し戻す結果になつたものである。

しかして、北信行は、前記被告人において初めて北信行運転の自動車が中心線附近に進出したのを認めた地点から右衝突寸前まで前車(小型貨物自動車)を追越そうとしていたものであるところ追越しの際の基本的な注意義務である対向車の有無の確認をなすことなく、それ故被告人運転の貨物自動車にも全然気付かず、しかも、警笛を吹鳴して前車を道路左側に寄せることもせず、前方を注視しないまま被告人運転の自動車の進路に突入して来たものである。」

ことが認められる。裁判所ならびに当裁判所の検証調書、検察官作成の実況見分調書中、右認定に反する部分(被告人、北信行、常岡嘉稔の各現場指示点ならびに被告人及び北運転の両自動車の速度等)は、いずれも、右各調書が本件事故から十か月以上経過した後に、即ち事故直後よりも記憶が一般的に薄れた状態で作成されたものである点、事故後間もない中に作成された前記各証拠(証人常岡嘉稔の尋問調書を除く)に比較してその信憑力は極めて弱く、当裁判所はいずれもこれを措信しない。

三  そこで進んで被告人の注意義務違反の有無の点について考察する。本件事故においては、北信行運転の自動車には、突然被告人運転の自動車の前面に進入して来たその直前まで、蛇行その他特に異常な走行状態にあつたと認めるに足る証拠はなく、唯前車を追い越そうとしている気配がうかがえる程度であつたことは、前認定のとおりである。しかして衝突直前、北信行運転の自動車が前車を追越すことは前認定のとおり、その前車、対向車、道路の巾員等から極めて困難な状況にあつたというべきである。そのことは北信行において前方を注視してさえいれば経験上容易に判断し得た筈であり、又その判断に従つて、同人において、右追越しを一時中止する措置に出た筈である。よし、右追越しを中止しないまでも、北信行運転の自動車が、その左車側を道路中心線上に来るように運転してさえいれば、本件事故は発生しなかつた筈である。自動車運転者は、運転中前方注視を怠つてはならないものであること、特に追越しをする場合には、対向車の有無ないしその状況について充分注意を払うべきものであることは、一般的に知られているところである。

被告人は、北信行も右の如き基本的注意義務を怠ることなく、前記自動車を運転しているものと信じて自車を運転していたものである。北信行が前方注視を怠つて、追越しを中止しないまでも避譲している被告人の前面に突然進入して来たことは、被告人においてこれを予見することを期待し得べき事態ではなかつたと認めざるを得ず、他にこれを予見し得べき事態にあつたと認めるに足りる措信すべき証拠はない。

四  されば、検察官主張の、事故直前被告人が警笛を吹鳴したか否か等の事実について判断するまでもなく、被告人には本件事故につき過失ありと認めることはできないので、本件公訴事実は結局犯罪の証明がないことに帰し、刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をするものとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 中村行雄)

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